私達一家が唐松清住の炭鉱住宅から、弥生市街に転住したのは、昭和10年の夏、私が小学校の1年の時だった。
家は、菓子・納豆製造○キ吉田商店で、叔父の喜市が家業を営み、長男の父・幸市は、祖父母に請われて同居したのである。父は鉱夫であり、後年、一人二分の先山になった。
今の警察の交番のある所あたりに、炭鉱の購買があった。社宅と私の家の前には、高架の輪車路があり、市街地の南側の崖下には洗炭機があって、幾春別線が走り、線路に沿って東西に幾春別川が流れ、釣り橋が架けられていた。
草原や街の空き地で、パッチやドンドコをやり、輪車路の下の営繕の材料置場でもよく遊んだ。
夏の暑い時、私達は、幾春別川に泳ぎに行った。釣り橋の下は、丁度よい淵になっていて、深い所は胸くらいまであった。
釣り橋を渡らず、線路側の急斜面を下りると、土砂の砂州があって、そこで服を脱ぎパンツ一枚で泳いだ。川の水は、上流にも奔別炭鉱・幾春別炭鉱があったから、炭塵で黝く汚れていた。疲れて砂州で一やすみする。私も友達の身体の毛穴も、炭塵で黝くまみれていた。それでも平気でよく泳いだし、溺れかけて、炭塵にまみれた川水を飲んだこともある。
川の南側は坊主山である。私達は木も無い山なので、ボンズ山と呼んでいた。ボンズ山の西側に小川があって、山からの湧水なので、綺麗であった。小魚を掬って遊んだ。
冬は北側に格好の山がないので、ボンズ山が私達のスキー場だった。然しその山は空手さんの農地で、空手の爺さんに農地が硬くなると、怒鳴られ、追われたりしたが、それでも、釣り橋を渡ってスキーを楽しんだ。
釣り橋は、線路側の高みから、ボンズ山の平地迄、緩い勾配で架けられ、幅1メートル位で、1尺(30,3センチ)板が3枚並べられていた。 故意に揺すると、容易に揺れて、低学年の頃は、悪餓鬼に下手で揺すられて、スキーをはいたまま、怖い思いをしてワイヤロープにしがみついたものだった。
6月14日、杉山さんと市村さんと私と3人で、この釣り橋を車で渡って、空手さんの長男の春雄さんにお会いした。85歳になられると聞いて、感慨深かったが、私もすでに古希に近く、50余年の歳月を噛みしめたのである。
空手さんに聞くと、この釣り橋は通い作をしていた人達十数人で、昭和8年に架けたそうである。古い釣り橋の写真はありませんかと問うたが、無いとのこと。昭和33年に再建され、昭和46年から現在の橋(市の管理)となり、2トン以下の車なら通れる立派な橋になっていた。
橋の上から、少年の頃泳いだ淵を眺めたが、砂州も澱みも、もう無かった。ボンズ山は荒れ、夏草が茂り、数本の果樹があるだけだった。
竜神さん
幾春別神社の南側を幾春別線が東西に走り、直ぐ側に「魚染の滝」がある。
幅20メートル、落差は7、8メートルはあろうか。3人で訪れた当日、「滝が見たい」と言う私の申し入れに、杉山さんが快く応じてくれたので、久し振りに見ることが出来た。
初夏の日差しを浴び、幾春別川の清流は、飛沫を上げて滝壷に音を立てて落ちている。豪快で明るく眩い。
私の小学生の頃は、両岸に鬱蒼とした雑木が繁茂していて、川は炭塵に黝ずんだ水であり、昼なお暗く、神秘的で気味の悪い滝壷であった。
竜が棲んでいるとか、苔の生えた亀がいるとかの噂もあり、事実、この滝で泳ぎ溺れて死んだ子供達も、数人はいる。
小学5年生くらいの時、2軒隣の2歳年下の守さんを連れて、川で小魚を日本手拭いで掬って遊んでいるうちに、滝壷の下流まで来てしまった。腰くらいまでの深さであったが、上流は滝であり、深みにはまっては大変と引き上げた。
その翌日の夕方のことである。守さんと二人で守さんの家で遊んでいると、腰の曲がった背の低い婆さんが来た。片方の眼は白濁していて気味悪く思っていたが、いきなり、「オメエ達、昨日、滝壷へ行ったな。婆が竜神さんを拝んでいると、オメエ達の足の周りに竜神さんの足が伸びていって、今にも滝壷に引き込もうとしているでねえか。婆はびっくりして、竜神さん、どうかお助け下さいませと何度もお願いしたら、竜神さんは足を引っ込めて滝壷さ帰って行った。二度と滝壷の近くに寄ったらならねえ。わかったな。」と嗄れた大声で言われて、震え上がった。それからは半信半疑ながらも、滝をおそれて近づくことは無かった。
幾春別市街が生家の妻や義兄に聞くと、ダム工事の始まる以前、幾春別駅前の営林署の貯木場が狭くなり、下流の栗丘橋近辺に貯木場が移る際に、滝の北側の大木の大方を伐り、岩石や土砂を大量に滝壷に投げこんで、林鉄の線路を延長したという。心なしか昔よりも、滝は浅くなり、狭くなったように思う。大木が伐られ、水も清流に甦った。暗さ、気味悪さは微塵も無い。滝壷の上に立って、54年の歴史を思った。
滝の上に、妙力竜神の祠があり、赤い鳥居をくぐると、祠の入り口の左右に、水難供養の地蔵尊が三基ずつ建立されている。地蔵尊に手を合わせ、妙力竜神にガラス戸越しに合掌
した。白眼の婆の姿が脳裡を過った。
桂沢サイクリングロード
同日、杉山さんと市村さんに同行して、三笠市図書館・釣り橋・魚染の滝・三笠博物館に立ち寄り、橋に関する資料は無いものかと訪れた。橋に関する資料は皆無に等しかった。
博物館を出て、裏手の錦橋から桂泉橋まで1200メートルのサイクリングロードを散策した。僅か20分の所要時間という。ゆっくり歩いて楽しんだ。
歩きながら少年の日が甦った。此処は旧林鉄の線路の跡である。綺麗に澄んだ水にあこがれて、小学生の頃、西桂沢まで泳ぎに行った道である。
6月28日、弥生市街で育った幼馴染み4人で、再度桂沢サイクリングロードを訪れた。
神泉隋道を通り、カヌーの観覧席のあるカーブは、私たちが小学生の頃、泳ぎに行ったところであった。
ふるさと再発見の旅と称して、私ははしゃぎ、湖畔の木影で幼馴染みと食べた握り飯は、殊更にうまかった。
短歌
錦橋 渡れば幾春別 川は澄み 青葉がくりに 鳥のすだくも
林道に 沿ふ川の水 いや澄みて エゾハルゼミの 声かまびすし
アカシヤの 花盛りなり 白き房の こぼるる程に 匂ふ道ゆく
春楡の 巨木のうろに 梟の 棲むとふ根方 糞こぼれをり
少年の 日に泳ぎたる 桂沢 岩の形も そのままに澄む
ハシドイの 白き花咲く 山の道 木立の奥に 鴬の鳴く
滝壷を 覆ひてゐたる 巨木みな 伐られ明るむ 魚染の滝
林鉄の 旧きトンネル 通りつつ わが少年の 日を懐かしむ
空を覆ふ 夫婦桂に 手触れつつ 流るる川の 瀬音すがしむ
母たちが 寄進せしとふ 地蔵尊 尋ねて巡る 山の辺の道
ダムの水 碧き湖畔の 樹の下に 幼馴染みと 食む握り飯
1997.10.10