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現在の元町三条東に、昭和 3年夏から遊郭が開業された。長平橋は、その正門の入り口から、現在の北本町東 4丁目の池田商店と福田長吉宅の間を通り、市道岩見沢北村線を結ぶ橋であった。元町地域一帯の大地主でもある石黒長平氏が、私財を投じて地域の有事避難施設の一環として架設された橋と聞いている。その大地主の名前を取り、「長平橋」と名づけられたものと思う。 この橋の材料は、丸太と板材が主である。橋脚には丸太材を使用し丸型の長い鋼材のネジ切りでネジ穴をあけ、反対側の留め金は、平型の正方形の金具を使って、ボルト留め。その丸太を組んで四か所に橋脚を造る。人や車の通る所は、約一寸五分程度の板を横に敷いて並べ、特殊な釘で打ちつける。両側には、安全対策を考えて、角材の主柱を数か所に立て、主柱と主柱の間には、平面を面取りした手摺を嵌め込む。縦格子に似た柵の欄干には、独特な風情があった。 水量の少ない時など、この橋脚によじ登ったり下りたりして遊んだこともあった。特にこの長平橋は、近隣に住む高等科生(岩見沢尋常高等小学校)にとっては最短距離の通学路でもあり、多くの生徒が利用していた。 長い年月を経たこの橋も、次第に老朽化していった。全面改修することもなく、一部に丸太の手摺をつけ、尺物板を縦に3,4枚並べて、人道橋として利用されるようになった。 しかし、昭和17年の幾春別川の大水により、上流から流れてきた数多くの流木等が橋脚に絡み付き、ついに急流に呑み込まれた。この情景を、自分の目で確認したことを、今でも思い出す。 現在では、この長平橋が竣工した年月や橋長、幅員も知ることはできないが、北盛橋の木橋と類似し、ただ、幅員だけが狭かったように記憶している。 | |