幾春別川の歴史


昭和22年ごろの幾春別川 写真右下が岩見沢市街と中央通り

北海道にまだ人があまり住んでいなかったころ、幾春別川にはさけはもちろん、多くの魚が住んでいました。

やがて、三笠で石炭が発見されると、鉄道が敷かれ、多くの人々がやってくるようになり、岩見沢のまちができあがってきました。

岩見沢という地名にも残っているように、石炭を掘る人々は、幾春別川のほとりで湯浴みをし、仕事の疲れをいやしていました。
このころのいわみざわの街は、幾春別川や石炭と一緒に発展し、人々の生活も川と密接に関わっていました。

しかし、人々があつまり、石炭が盛んに掘り出されるにつれて幾春別川は汚れていきました。
炭鉱が最も盛んだったころには、上流から流れてくる石炭のカスで、川は真っ黒に汚れていきました。

昭和7年の水害
また、昔から幾春別川は大雨のたびに洪水を繰り返してきたことから、人々の暮らしを守るため、大掛かりな工事が行われ、川はまっすぐになり、コンクリートの護岸も増えていきました。
昭和32年には、三笠市の桂沢に大きなダムもつくられました。

切替工事の様子
これにより川の水の流れはよくなり、洪水はずいぶん減りましたが、その反面で、あんなにたくさんいたさけはいなくなり、ほかの魚も減っていきました。

川で遊ぶ子どもたちの姿も減っていきました。

何年もそんな状態がつづきましたが、石炭があまり使われなくなって上流の炭坑が減ると徐々に川はキレイになり、少しずつ川の良さが見直されはじめました。

帰ってきたさけ
そして平成3年10月、おおよそ100年ぶりにサケが帰ってきました。
このことをきっかけに、幾春別川にさけをもう一度呼び戻そうと、翌年から稚魚の放流が開始されました。

平成5年には岩見沢市で「幾春別川をよくする市民の会」がつくられ、続いて三笠市や北村にも、市民の会がつくられました。 現在、これらの団体が中心となって、幾春別川を良くしていこうと努力しています。

これからは、人の生活を守りながら、一方で魚やほかの動物たちにとっても住みやすい川を、みんなでつくっていかなければなりません。

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